あたしとお前といつかのあたし

精神科のロビーで二度見される女

小さい

1年を2つに分けるとき、あたしは今が転換期である

久しぶりの感覚を味わいながら、少しだけ新しくなるあたしに、少しだけ期待する

新しい手帳を買って、書きやすいボールペンを買った

この手帳が6月に機能していないことも、家に同じブランドのボールペンが溢れていることも知っている

それでもあたしは毎年手帳を買う

小学生のあたしが初めて手帳を持ったあの日から、毎年手帳を持つことはもはやアイデンティティ

その頃は食べたみかんのフサの数を毎日手帳に記し続け、1年が終わるとグラフにしていた

確かそれは1年しか達成できなかったし、もう数は忘れたけれど、あたしの成し遂げた功績の1つである

計測期間に誰かがみかんをノールックで口に放り込む様子を見ると頭を抱えたくなったことを昨日のことのように思い出す

今でもみかんを数えないで食べることは、あたしにとって少しだけ贅沢だ

そういえば、いつもなら転換期に髪色を変えるけれど今年はまだ予定すら立てていない

「少しだけ」の感覚が、年を重ねるごとに特別なものから離れていく

 

現実を直視できる人間でありたいと思う

無様なものでも事実を受け入れることができるのは、自分自身の視野の広さにかかっている

 

書かなくてもいい話だけれど、他人に対して容姿のことを執拗に言う人間は、身体的特徴がわかりやすくある人が多い傾向にある

会うたびに「太ったね」と声をかけてくるあの女は子ども服を着れるほどに背が低い

だからどうという話でもないが、わざわざ声をかけてくるのには彼女がずっと「小さいね」と言われてきたからだと解釈している

あたしにとっては悪口でも、相手からしたら挨拶なのかもしれない

 

ふと、メッセージのアプリを開く時、そのアプリの小ささに驚く

こんなに大事な話をしているとは思えないほど小さいのだ

今の時代、この小さなアプリ1つで人生を病むことから変えることまでできてしまう

その人生は自分のものかもしれないし、他の誰かのものかもしれない

親指ひとつでされる嫌がらせなど、見なかったことにする方がいいだろう

 

アプリよりもずっと小さな文字で表示される日付をぼんやりと見つめる

今日はあいつの誕生日だ

突然連絡が途切れてから数年の月日が流れた

今どうしているかすらわからないが、頭の切れる男だった どこかで上手く暮らしているのだろう

至極論理的な考え方で、思想のはっきりした人間だった

いつもあたしのことは天才だと評してくれたし絶対に勝てないと常々言われていた

確かにあたしは彼のことを天才だと思ったことはないが、彼以上に努力を隠さない人間に会ったことはないし、あんなにも諦めの悪い人間は見たことがない

彼の人生は幼なじみとしてどこを切り取っても恥ずかしくないほど素晴らしいもので、あたしの中では一生高め合っていく友達のうちの1人だと思っていた

 

敢えて言おうか、彼の人生の最大の汚点は、あたしという友達を切ったことだ

 

もう既読のつかないトーク画面に誕生日を祝うメッセージは送ってやらない

あたしは小さいアプリに心を病むのはもうやめたの

いつかこの画面に辿り着いたら、また電話でも掛けてきてくれ