あたしとお前といつかのあたし

精神科のロビーで二度見される女

現代社会の三大欲求

欲とはなんだろうか

世間では人間の三大欲求として食欲・性欲・睡眠欲が挙げられている

摂食障害・性依存症・睡眠障害の診断をコンプリートで喰らっているあたしには、その世間とやらに居場所はない

 

あたしの場合、一次障害は摂食障害だった

"きっかけはただのダイエット"

いつしか1日に30kcalほどしか取ることを許せなくなったり、反対に下剤乱用や過食嘔吐から抜け出せない日々が続いたりした

一言で言えば、苦しかった

苦しんでいることに気が付かないほどに苦しかった

 

そこからセックスに依存の矛先が向くようになる

こんな自分を抱いてくれる男がいるなら、相手なんて誰でもよかった

お金はいらない

セックスをすることであたしの存在価値が証明されているような気がしていた

満たされたはずの夜、不思議と泣きながら家に帰っていた涙越しの景色は時折フラッシュバックする

 

特に相手にパートナーがいればなおのこと、いわゆる不倫相手や浮気相手というものになることに必死だった時期がある

大切な人がいるのにも関わらず、あたしとセックスをするということは、どこかその見知らぬ女よりも自分に優れている面があるのではないかと思えた

心の奥底では、それが一時的な相手の性欲処理になっていることくらいわかっていた

 

睡眠欲に関しては、あまり実感がない

確かに眠ることは大切だけれど、カフェイン剤とコンサータでずっと起きていることは可能だし、夜寝るときに睡眠薬が手放せないあたしにとって、三大にあげるほどではない

 

少し話を戻そう

拒食や過食を伴う摂食障害にしても、精神依存と身体依存に分かれるセックス依存にしても、その根底にあるのは「承認欲求」でしかないのではないだろうか

 

時が経ち、売春に手を染めるようになった今でも、承認欲求という大きな穴が埋まらない限り、あたしの病気は治らない

前置として念のため言っておくが、この文章を読んだあなたに、あたしを認めて欲しいだなんて言うつもりもない

 

だったら誰に認めて欲しかったのだろうか

それはきっと、紛れもなく両親だ

一人娘として大切に育てられたあたしは愛情をたくさん受けてきたけれど、本当に求めていた愛は得られなかった

 

嘘。少しだけ他人に擦りつけたくなってしまった

おそらく本当の答えは自分だろう

自分自身を認めることができなかったあたしは、自分が生きてていいと心から思えるように、自分自身で承認欲求とやらを満たせるように自らを傷つけ続けてきたのだ

 

人類の三大欲求は前述の通りかも知れないが、現代社会を生きる人間の社会的欲求は、承認欲求だと思う

厄介なもので、これはなかなか満たされない

満たされたところで嘘のように消えてしまったりもする

幸せと同じだ

"幸せはいつだって抱きしめた途端にピントがぼやけてしまうから"

(少年/Mr.Childrenより引用)

強く抱きしめたはずの"承認"は、気がついた頃にはピントがぼやけて見えなくなっている

 

セックス・ドラッグ・バイオレンスとこの世の三大娯楽は儚い

そこで得た承認欲求など、すぐどこかへ消えてしまうどころか深い傷となって残るだけだ

 

そんなことはとうに知っているのだけれど、自分自身を認められる日まで

きっとあたしは自分を傷つけ続けるのだろう

 

表題には三大と書いたものの、承認欲求を数えてしまったが最後、残りの2つは個人差でしかない

別にそもそも3つ挙げる必要なんてないしいいでしょ

 

朝方になってしまって眠れない自分を傷つけるかのように今日も枕元の薬を手当たり次第に飲んでいる

"こんなにつらい日々もいつか終わるかな"

(銀河街の悪夢/SEKAI NO OWARIより引用)

 

左腕に刻んだアートを

左耳に刻んだ歴史を

いつか笑い飛ばせる女になりたいものである