あたしとお前といつかのあたし

精神科のロビーで二度見される女

宴、中止

なんだか音が煩瑣い

隣近所の住人の騒音だろうか、それとも幻聴だろうか

どうでもいい

 

あたしのことを大事だと謳うくらいなら、あたしのことなど殺してくれ

客観的な価値など知らない ただ本人が自分に価値がないと言ってるんだから話は以上だ

 

朝は虚無感満載の過食嘔吐から始まり、昨日行く気になれなかった精神科にいき、売春斡旋の店で小銭を稼いで、妻子持ちに抱かれた そんな1日につける価値など微塵もない

最早、薬に手を出す気持ちにもならない

 

久しぶりに衝動的にしてしまった過食嘔吐も、指紋と引き換えに手に入れた1000円札も、不倫相手になった既成事実も、別になんのスパイスでもない

ただ、こんな奴は、あたしがなりたかったはずの女じゃなかった

みんなそうだよ、という類の気色の悪い同調勢力の声が聞こえてきそうだが、だからなんだよ以外の何でもない

他の人が理想を叶えられなかったことは、あたしが理想を叶えられていないことと何の相関もない

よってその言葉たちは慰めどころか、場合によっては侮辱だ

 

そういえば、あたしの周りには一定数、絶対に断定をしない話し方をする人間がいる

無論彼らの善し悪しに言及したいわけではない

ただ、自己肯定感が低いという点であまりに共通していると感じるのだ

言うまでもなくこれらは必要条件でも十分条件でもないが、この傾向は背景にある文化に依存している気がしている

ここで言う文化とはあくまで家庭環境や人間関係ではなく、もっと広い意味を表す

国家レベルの大きな組織が構築したものに侵食されてしまった被害者とも見て取れる

当人たちが通りすがりの女に、被害者と括られていい気がしないことくらいバカなあたしにもわかるけど、書きたかっただけ

 

嫌いな街に行きたくなった

絶えず薄汚れた空気が渦巻いて、雨の日には血の匂いが薫る新宿の街がたまに恋しくなる

 

ああ、文章なんて書くんじゃなかった

不倫なんてするんじゃなかった

過食嘔吐なんてするんじゃなかった

こんな社会に産み落とされる真似なんてするんじゃなかった