あたしとお前といつかのあたし

精神科のロビーで二度見される女

儚い、永い

居場所が欲しかった

自分がここにいることを、誰でもいいから良しとして欲しかったし、その場所はどこでもよかった

 

数年前、終身雇用がまだ当たり前だと言われていた頃に見た番組を今でも覚えている

それがフィクションだった気もするが、詐欺グループの手下に年配の方が多いといった内容だった

定年退職をして自由を得られると思ったものの、朝起きてやることはなく、ただ日が暮れるのを、更に言えば寿命がやってくることを待つだけの時間の孤独さに耐えかねた人間が、手放して初めて仕事で"必要とされていた"ことに気がつく

しかし年齢的にも雇ってくれるところはなく、時間に融通が効き、社会的な経験値がある上に、逮捕されたところで失うものがなにもない

必要とされる人材と、必要とされたい人材が切ないほどに合致したというわけだ

 

居場所や帰る場所は、自分が思っているよりもずっと大切なものである

『幸せの定義』と題した過去の投稿でも触れたが、旅も帰る場所がなければ成り立たないのだ

ここへ行けばどうにかなると本心で思える場所をきちんと確保しておくことは、生きる上で絶対だ

 

自分なんて、と自傷を繰り返していたあたしに「俺としては、自分で自分を大切にするしかなかった」と言った男は元気だろうか

この類の話で、初めて心が動いたものの、肝心の彼はその続きをきちんと話す前にあたしから離れてしまった

追う気はないけれど、この話をきちんと聞かせてから次の女にいけばいいのにと思ってしまう

こんなものは感情論だ

感情だけでものを語る人間が嫌いで、如何に論理的に判断するかばかりを考えている

だからこそ、1人になった時の感情の起伏が激しい

論理的に誰かと話をしたければ、自分もある程度論理的な人間でいなくてはならないからだ

 

そんなに人間うまくできてないって

 

不甲斐ない自分を嫌うばかりではおもしろくないから、たまには適当に笑い飛ばしてやればいい

 

自由になると思ったら虚無で、手放したくて仕方なかった何かを求め過ぎてしまうのは、仕事の話で例を出したものの、恋人を捨てた時の失恋の感覚に限りなく近いとぼんやり思ったことは、今年1番初めの余談だ