あたしとお前といつかのあたし

精神科のロビーで二度見される女

明日はどっちだ

"ねえそうだろう 諦めてると僕らは

何故か少し 生きやすくなる”

(死にたい季節/神聖かまってちゃんより引用)

 

いつかのあたしが、未来のあたしへの手紙でこのように綴っている

"あなたに諦めと他人への嫉妬は似合わない“

 

 

諦めは確かに、ある種「終わり」を意味する。

おそらく神聖かまってちゃんの作詞をされているの子氏は、無理に気取らず自分の手の届く範囲で生きればいいのだと訴えている

自分から諦める、すなわち捨てる勇気というのは悲惨なほどにハードルの高い行為である

あと1歩、あと1秒、もがいた先には明るい光が差しているかもしれないのだから

しかし、その少しの瞬間に苦しみすぎて死にたいとすら思ってしまう人たちへ向けて彼らは歌っている

 

そうして歌われている「彼ら」に、前述の通り諦めることに対しての反逆心を抱くあたしは救われた

無論、この歌詞を感じて、なにかを諦めてしまおうと思ったわけではない

ただ諦めるという選択肢があることが悪ではないと思い出した、と言えばよいのだろうか

 

諦めないことで見えてくる光もあれば、諦めることで見えてくる新しい世界がある(こともある)

いずれ訪れる死よりは不確かな明日をどう生きるかは自分次第である

別に意識高い系のようなことを伝えたいわけでもなく、病んでいる人を救いたいわけでもない

ただ予定をみんなみたいに上手くこなせなかった今日の自分を、少しでも認めてみたかっただけである

 

あいつが好きだったジャックダニエルのジッポで、あいつが好きだったガラムを吸う

雨の音が直接聞こえるベランダも今日は寒さを感じなかった

恋うよりも愛すほうがずっと難しくて深い

どう振り仮名を振るかは読者の皆様にお任せしよう

 

さて、今夜も酒を酌み交わそう

明日が想定通りのものだとは限らないのだから

大好きなジンを3種類並べて今夜のお供を選んでいる

いや今日は、届いたばかりのゴールドで決まりだ

 

そういえば昨日、今日がこんな夜になるだなんて思いもしなかった